2013年6月27日木曜日

節分 神さま・仏さま巡り

前日が雨で順延となり、京の節分が見られる楽しみを期待して、蹴上に向かう。
蹴上を出ると、赤レンガのトンネルをくぐる。

大邸宅群を横目に南禅寺に向かう。
しばらく歩くと三門が見える。
門をくぐると大方丈が堂々と迎える。
臨済宗の大本山の威厳である。
寺の中に赤レンガの水路が高くそびえる。
少し上がると、琵琶湖からくみ上げた水が水路を通じて流れ込む。
下から見上げた風景と、上からの風景が一致しない。
しかし明治の初期にこんなものがよくできた。

話を戻して、蹴上には貯水池、水力発電と大工事を古都に出来たものだ。

南禅寺の広さを感じながら、哲学の道に向かう。

入口に熊野若王子神社がある。
熊野詣りを始める前に、ここ熊野若王子神社で浄めてから出発したらしい。
洛中には、熊野三山がある熊野神社、新熊野神社ここ熊野若王子神社である。

哲学の道に戻り、疎水に沿って歩き出す。

橋を渡り、大豊神社に着く。
医薬、学問、勝運、災難、火難、商売繁盛、七福神、縁結びの神様t多彩な神社。
七福神の酒を購入(京都でなく、岩手の盛岡市の酒)

山道を歩くと法然院に着く。
山門をくぐると、「白沙殿」と言われる白い砂で構成されている造形が目に入る。
秋には、紅葉で寺全体を引き立てる。
この寺には「住職による法話」が有名である。

時間が合わず庭を散策して昼食場所を探す。

食後、銀閣寺に向かう。
銀閣寺に通じる参道は、お土産屋さんでいっぱい。

背の高い生垣を通り入口。
まず目に入ったのは白砂で造った円錐形と銀閣寺を見る。
山道を登り始めると、苔の手入れをする方が丁寧に苔を移動する。
息を切らして展望台に着く。
京都の一部を見渡し、室町幕府、足利義政公が隠居生活を送った気持ちを味わう。

京の節分を体験する時間となった。
千本釈迦堂である。
鎌倉時代の古式による赤鬼・青鬼退治、年男・年女による豆まき(豆でなくピーナッツ)。

福が内に来ただろうと感じて帰路へ。


寛・・・古都の行事をうける
裕・・・今年も七福神よ。よろしく
塾・・・少し歴史も感じたかな


平成二十四年二月三日



2013年6月25日火曜日

初詣 神さま・仏さま巡り

快晴の日和が、寛裕塾を迎えてくれた。

京都の初詣の基本パターンの平安神宮から詣でる。
桜門を通り正面に広がる雄大な本殿の姿は、いかにも平安を印象づける。
正月三が日の人出が大勢だった跡が随所に感じる。

葵祭や祇園祭とともに京都三大祭りの一つである時代祭で、時代風俗列が都大路を練り歩く平平安神宮の祭礼。

次は神宮道から知恩院に進む。
三条通を渡ると、知恩院の山裾が目に入り出す。

有名な知恩院の三門(山門)、徳川秀忠が建立、高さ24m、横幅50mが迎える。
釈迦如来像や十六羅漢が祀られる。
女人道を本堂を目指し昇る。
本堂は改装中、阿弥陀如来堂で参拝する。
浄土宗総本山らしく重みがある。
知恩院の梵鐘は高さ3.3m、口径が2.8m、重さ70トンという巨大鐘が見られなかった。
除夜の鐘でも有名である。

円山公園に入ると中央に「しだれ桜」が冬の寒さに耐えている。

八坂神社に入ると、一転華やかな雰囲気になる。
提灯、絵馬、おみくじなど紅白が目につく。
祇園のお茶屋や料亭などが奉納した提灯がぶら下がる舞殿がある。

京都の夏を熱く彩る祇園祭は、平安時代から今日まで続く。
京都の初詣は、華やかでこれから一年を幸に見届けてくれる。


寛・・・名刹巡りから、古都の名社寺をとる寛大に
裕・・・新年会は、京料理で有名な美濃吉(実は弁当)
塾・・・一日が一生、毎日が生涯の学習


平成二十四年一月五日

2013年6月23日日曜日

都・七福神巡り④

今回は、四月七日の都・七福神巡りに参加出来なかった方々のために企画された。

午後から雨の予報が出ているが、午前中は持ちそうだ。
昼食を少し遅くすることで出発する。
バスで清水道に向かう。

バスを下車し、最初の六道珍皇寺に進む。
門を潜り中に入り、六道の井戸(冥土通いの井戸)を障子越しに見る。.

次は、六波羅蜜寺である。
かつては六原といい、麓原が転じたとも云う。
六種の行い(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)である。
朱印(弁財天)を受ける。

次は、恵美須神社(えびす)へ。
鳥居の中心に、「えびすさま」を祀る。
朱印を受ける。

その後は瑞泉寺へ。
豊臣秀次の一族を祀る寺として此の地に角倉了以が建立。

次は、本能寺へ。
「我が敵は本能寺にあり」で誰もが知る本能寺である。
今の建物は昭和三年の造営らしい。

次は、革堂(寿老人)。

これで都・七福神巡りは終わる。

その後、下御霊神社へ。
非業の死をとげた人たちの怨霊を鎮めるための神社である。
手入れが悪いのかテントで屋根を包む。

最後に護王神社に向かう。
猪像が置かれ、猪の置物が目に付く。
足腰の守護神として関連する商品が多い。
全員足腰の痛みを祈願する。

来年度は、西近江七福神、丹波七福神、泉湧寺七福神を計画。


寛・・・心配していた雨は、曇り空で終わった
裕・・・都・近江の七福神巡りは成就
塾・・・年内に計画した活動は終わり、来年には、ご利益が、得られます様に祈願する


平成二十四年十二月一日

2013年6月22日土曜日

近江・七福神巡り③

東近江の独自の天候なのか重い曇り空が、迎えてくれた。
紅葉はまだ早いようだが、晩秋の時期になった感がある。

八日市駅から街の中心部を五分ほど歩くと市神神社が、目に入る。
「市営・市神神社」の表示をみて正面の社殿を拝む。
朱印を事前予約の単紙に書かれた朱印を受ける。
見ると「ゑ比寿神」と書かれ少し他との違いがある。

次は、バスで興福寺に向かう。
十五分位歩いて古寺に着く。
朱印の予約を入れていたが、留守。

後日の郵送を近所の方にお願いして、日当たりの良い本堂で昼食。

バスで八日市駅に戻る。
近江鉄道に乗り桜川に向かう。
桜川から石塔寺に向かって歩き出す。
山裾の部落の中に石塔寺がある筈だが、なかなか見当たらない。
極楽寺を過ぎてようやく到着。

聖徳太子が近江に四十八の寺院を建立したが、石塔寺が最後になり満願のお寺で、本願成就寺
と言われたらしくい。
百五十段の石段を登り始めると大きな石塔が目に入る。
石段の両脇や、独特な姿の三重塔を取り巻く石塔、八十八ヶ所を想定際した山道にある石塔を観劇しながら一周する。
中央の三重の石塔はインドから持ち帰った打ちの一つらしい。
琵琶湖の中に沈むもう一つがあるらしい。
石塔寺には国重文指定の石塔が三基と他に八万四千体あるといわれる。
数えることは困難、まあ信じましょう。

桜川で待たされ、日没になる頃に乗車帰路に着く。


寛・・・待つことが大事
裕・・・石塔に励まされ石段を登る
塾・・・十一月一日は、今年から古典の日、三日は文化の日、五日は憲法の日、十一月は学ぶ月かな


平成二十四年十一月三日

2013年6月20日木曜日

石山寺 神さま・仏さま巡り

石山駅南口広場に集まった新しい仲間と共に、充実した一日になりそうな予感を感じる。
瀬田川に沿って石山寺を目指す。
少し曇っているが、残暑も終わり心地よい約三十分だ。

石山門前に到着。
山門は源頼朝の助力で建立され、両脇には、鎌倉時代に造られた仁王像が迎えてくれる。
この石山寺は、良弁僧正が来山し開山、「花の寺」「石の寺」として親しまれている。
今回は、当塾の谷村氏(石山寺観光ボランティアガイド)の案内で境内の重要文化財の建物、歴史などの案内を受ける。
多宝塔、鐘等、本堂、仏像などを勉強し、西国三十三か所観音像を拝み、石塔の周りを回って八十八か所めぐりに代える。
苦労せずに安易な行動を許してくれるだろうか。

石山寺を出て瀬田川沿いに、唐橋に向かう。

渡り切った処に藤原秀郷(俵太)が百足退治したゆかりの雲住寺、龍王宮秀郷社に詣でる。

昼食時、古き時代瀬田川の渡しを想像し、唐橋を見ながら「都」に向かった人たちを想いうかべる。

近江一之宮、建部大社へ。
景行天皇の神勅により建立、源頼朝が崇敬したと言われている。
現在のお社はあまり大きくないが、付近の住宅街は、「神領」であり近江一番の地代収入で成り立っていた様子が伺える。

今回の活動は、谷村氏の厚意に甘え良い歴史を勉強でき、感謝する。


寛・・・鎌倉時代の生活を感じ
裕・・・のんびりと
塾・・・歴史・文化を再認識して自分が強くなること


平成二十四年十月六日

2013年6月19日水曜日

都・七福神巡り③

萩が、秋を迎えてくれる季節になったが、残暑厳しい。
京都駅八条口を出た頃から汗が出る。

東寺に入り三重塔と足元の蓮池を見て東寺に到着したことを感じる。
毘沙門天堂に足を運ぶ。

朱印を受け、参拝して南門から地下鉄九条駅に向かう。
太陽が頭の上にあり日蔭が少ない。
地下鉄に乗り込むと冷房に冷やされ松ヶ崎に向かう。

次は松ヶ崎大黒天である。
山裾の住宅街を通り、静かな山寺が見える。
屋代の前に、大黒さんが待ち受ける。
大きな赤の提灯が両端に飾り、ご本尊にお供えが、沢山で少しお祭り気分になる。
大と天は大きく元気に朱印帳に記帳賜る。

森が広いとされる、鷲森神社に向かい昼食を食べる。
暑さを忘れる木陰の風を受け、充分な休憩を取る。
鷲森神社は、この地に、移るまでは、赤山明神、修学院離宮の山中にあったが、修学院造営時にこの地に移った。

都七福神最後の参拝地の赤山禅院に、暑さを忘れ出発する。
少し迷ったが、名刹として取り上げられる赤山禅院に到着。
「福禄寿」は頭が大きく、胴体の部分と同じくらいt言われ長い白鬚をたくわえ杖をもち腰には瓢箪をつるし長命の中国仙人である。

日本最古の、都・七福神は終了する。

現世利益を追求せず千二百年前に、先人が築いた神さま・仏様に我々は歴史・文化・生活様式等を受け継ぐ事が重要かと痛感する。


寛・・・千日回峰行に使った草鞋を見る
裕・・・苦難を一生懸命考える
塾・・・大黒天が責めている


平成二十四年九月一日

2013年6月16日日曜日

近江・七福神巡り②

近江名刹の一つの青岸寺に向かう。
山門を入ると、岩桧葉前の庭は一面植えられ我々を迎えてくれる。
庭園を拝見の上、寺院に入る。
石段の多い日本庭園を鑑賞し汗をふき取る。
青岸寺で「福禄寿」の朱印を受け、次の天寧寺へ進む。

天寧寺の仏壇に入ると「五百らかん」が四方の階段状の棚に祀られ圧倒される。
正面にお釈迦様と、十大弟子と五百の羅漢が取り巻く状況は、仏の世界に招かれる。
布袋尊に、ご利益を求める。

彦根城と城下町を眼下に見ていただく昼食は格別だ。

汗を拭き拭き佐和山の裾を通り、大洞山の中腹の長寿院を目指す。
石段を登り切った先に、長寿院(大洞弁財天)だ。
長寿院は、彦根城鬼門除けになるらしい。
朱印を受ける間は、タオルを水に冷やす。

木陰を求め下がる。

井伊家ゆかりの、神社、寺院が待つ。
「井伊神社」(前のみ)井伊家の菩提寺「龍譚寺」の庭園を拝見。
「庭の寺」日本一の「だるま寺」らしい。

「清涼寺」を拝見する。
客殿は立派に感じる。
境内に樹齢五百年位のケヤキと感じられる大木で少し涼しさを感じる。

佐和山の麓は、三成、島左近、井伊家の屋敷があったようだ。
佐和山城、城主石田三成と井伊家の結び付が感じられる地域だ。


寛・・・汗の一滴を絞り出し
裕・・・日蔭と風がなにより
塾・・・少しずつ神仏習合思想がわかってくる
     (同じ敷地に神社・寺院が存在)


平成二十四年八月四日

2013年6月15日土曜日

近江・七福神巡り①

近江・七福神は、今回の長命寺(毘沙門天)から始まる。

桑實寺とともに、石段との挑戦である。
バスを下車していきなり石段が待ち受ける。
売店で杖を借りる人、上を見上げて登れるかどうか思案する人様々であるが、八百八段に挑戦。
体力、気力、足の力を問われる。
長命寺は、長生きができるお寺では無いか。
そうではなく、一生懸命石段を登ることが長命になると悟る。

全員無事に到着。
山上に建つ大寺院を見て、汗と息切れを忘れまずは休憩。
小高い場所に登ると全景が見られ、長命寺の美しさが際立つ。
拝観、朱印を賜り、帰りは石段を避け自動車道を降る。

バスで近江八幡駅へ、次の予定地安土に向かう。
駅から歩き、桑實寺を目指す。
ここも石段に、うんざりしながら挑戦。
朝味わったの石段恐怖症が出そうだ。
杖を借り登り始める。
まず山門までと気合が入る。

山門の石段で昼食、充分休憩をとり本堂に進む。
桑實寺は、開祖定儀和尚が中国から桑の実を持ち帰り、養蚕技術を広めたとされる。

一休み後、観音正寺を諦め信長の関連施設を経て駅に向かう。

大変な一日であった。


寛・・・石段を見ながら無心に登る
裕・・・休憩が何より
塾・・・体でもって一生懸命祈ること(歩くこと)


平成二十四年六月二日
              

2013年6月12日水曜日

都・七福神巡り②

宇治の平等院で親しまれている宇治が、今回の社寺めぐりである。新しい方々が増えにぎやかで好天に恵まれ楽しい一日となりそうである。

都・七福神の一つ萬福寺を目指す。寺の開祖は隠元大師といわれ、明(現在の中国)から日本に渡る時インゲン豆を持ち込み拡げたとされる。

宇治橋からの出発のため「萬福寺」まで三十分位経過した。

萬福寺の布袋尊の大きさには圧倒される。普通は本尊は小さく威厳を保っているがここは違う。

布袋像の左右に十八体の羅漢(修行者)が取り囲む。この中の一体は、釈尊の実子がいるらしい。

参拝、朱印を賜り次に進む。住宅地の急坂を上り、着いた所が、龍神神社である。(少し違う)

集会所で昼食、住宅地を下り「宇治上神社」「宇治神社」と進む。

宇治上神社は日本最古の神社建築らしい。宇治神社は平等院を造営する際の鎮守社、明治にはいって上社(宇治上神社)下社(宇治神社)と分け合ったといわれる。

帰路神前結婚のカップルに出会う。

興聖寺へ目指す。社寺へ向かう途中の琴坂の美しさは京で三指に数えらる。興聖寺の雄大さは一番。

各自解散する。


寛・・・布袋尊の気持ちで
裕・・・十円コインをみて宇治を思い出す
塾・・・勝手に自分で、学ぶしかしようがない


平成二十四年五月十二日

2013年6月11日火曜日

都・七福神巡り①

寛裕塾の活動が京都から始まった。

本年度は、「都・七福神と周辺の古刹」「近江・七福神と周辺の古刹」を主体に社寺を訪れる。

当日は、清少納言の「春は曙」とはほど遠い感じである。四月に入っても桜の満開が見られない。

「六道の辻」と書かれた標識を見ながら、「六道珍皇寺」に入る。六道とは、人間が善悪の業によって六つの迷界、地獄、飢餓、畜生、修羅、人間、、天のことをいう。

「六道珍皇寺」から「六波羅蜜寺」へ七福神第一号(弁財天)平清盛の関連するお墓などを見ながら、朱印を賜る。

少し歩いて建仁寺の境内の、日当たりの良い場所を選び昼食。

「恵比寿神社」に向かう。鳥居の中央に「ゑびす」と記され(ゑ)に注目する。都七福神の「のぼり」「七福神の像」が祀ている。

祇園花小路を抜け、鴨川沿いに「革堂」に向かう。「革堂」(寿老神)で参拝、朱印を賜る。

今日の七福神は終わり、周辺の社寺をまわる。和気清麻呂が、足腰の守護を受けた「護王神社」にお参りし寛裕塾のメンバーが足腰が痛むことがない様に祈願する。

豊臣秀吉が出雲から移したといわれる「下御霊神社」と進み、京都御所を拝観して、終了とする。


寛・・・六道の精神
裕・・・自己啓発
塾・・・知ろうと思ったら実践すること


平成二十四年四月七日